クロスケのブログ

この人の彼女って苦労しそう

2008-04

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ラ・ロシュフコー『箴言集』

◆やたらと共感しどおしだった本
座右の書にしようかしら


《われわれの美徳は、ほとんどの場合、偽装した悪徳に過ぎない》


このような序文からはじまる、この箴言集
十七世紀の文学者ラ・ロシュフコーさんが執筆したもので
序文にあるように
人間の偽善やごまかしを、これでもかとばかりにあばきたてた
実に胸のすく名著です
しかし四百年も前なのに、ぜんぜん古さをかんじないなあ


◆人は大昔から、自分や他人のすることを
愛やら度量やら奉仕やら、いろんな美辞麗句でかざりたててきました
それもロシュフコーさんにかかれば、以下のようになるみたい


《16 人びとが美徳とするこの寛恕は、ある時は虚栄心、間々怠惰、しばしば危惧、そしてほとんど常にこれら三つ全部の協力によって実践される。》

《143 われわれが他人の美点を褒めそやすのは、その人の偉さに対する敬意よりも、むしろ自分自身の見識に対する得意からである。だから他人に賛辞を呈しているように見える時でも、実は自分が賛辞を浴びたいと思っているのである。》

《177 あくまでも忠実であることは、非難にも称賛にも値しない。なぜならそれは、好みと感情という、人が自分から取り除くことも、自分に与えることもできないものの持続に過ぎないからだ。》

《409 われわれの最も立派な行為も、もしそれを生み出したすべての動機を世間の人に見抜かれれば、われわれはしばしばそれを恥じることになるだろう。》

《463 自分の敵の不幸を憐れむのは、多くの場合優しさよりも傲慢からである。彼らに同情のしるしを示すのは、自分の方が優位に立っていると思い知らせるためなのである。》


善意や向上心のためだと人が称するあらゆる行為を
ラ・ロシュフコーは、かたっぱしから
欲得や嗜好による打算にすぎないと看破してしまう
どんな善行も、無償の愛すらも
虚栄心というレッテル貼りひとつで美徳の仮面をはがされちまいます

ロシュフコーさん、かなり性格悪そうだぞ

いろんな著名人に反撥されたらしい、この箴言集
人間はどこまでも俗物であり、高潔な精神などは幻想だといわんばかりです
はははははははははははははは
おれの考え方とほとんどいっしょで、実に痛快


《77 愛は、人びとが愛ゆえと称する無数の駆け引きにその名を貸すが、ヴェネチア総督がヴェネチア共和国で起きることについて与り知らないように、そういう駆け引きは愛の与り知らぬものなのである。》

《187 美徳の名は悪徳なみに有効に欲の役に立つ。》

《262 恋ほど自分自身への愛が強く支配する情念はない。そして人は常に、自分の心の安らぎを失うくらいなら、恋する相手の心の安らぎを犠牲にしようときめているのである。》

《235 友達の悲運も、それが彼らに対するわれわれの友情を示すのに役に立てば、それだけでわれわれは悲運のことはさっさと忘れてしまう。》


自分の愛とか、善意とか、人はことさら主張するけれど
そういった動機の説明を、なんでわざわざするかというと
発言力や影響力を得るためのかけひきであることが多い
こんなに立派なわたしのいうことをききなさい、ということ


◆遠慮会釈なしに言いたい放題いいたおすロシュフコーさん
人間の弱さについても、すごい辛辣に糾弾する
われわれが日常、自分自身に対して
ほぼ無意識に行っているごまかしも、見事にあばいてくれやがります


《31 もしわれわれに全く欠点がなければ、他人のあらさがしをこれほど楽しむはずはあるまい。》

《107 断じて媚は売らないと標榜するのも一種の媚である。》

《184 われわれが自分の欠点を告白するのは、その欠点のせいで人から悪く思われた分を、率直さによって埋め合わせるためである。》

《389 他人の虚栄心が鼻持ちならないのは、それがわれわれの虚栄心を傷つけるからである。》

《398 われわれが自分のすべての欠点の中で最もあっさりと認めるのは怠惰である。われわれは、怠惰は柔和な美徳のすべてに一脈通じるところがあり、かつ他の美徳も完全にうち崩すわけではなく、単にその働きを遅らせるだけである、と信じ込んでいるのである。》


184と、398がすごいな
なんだか、日本人特有の、公開日記の文章のいやらしさに
もののみごとにあてはまる気がする
これ意識したら、ブログがかきにくくなるなあ


《22 哲学は過去の不幸と未来の不幸をたやすく克服する。しかし現在の不幸は哲学を克服する。》

《89 誰も彼もが自分の記憶力を慨嘆し、誰一人として自分の判断力を慨嘆しない。》

《296 少しも尊敬していない人を愛すのは難しい。しかし自分よりはるかに偉いと思う人を愛することも、それに劣らず難しい。》

《347 われわれは、自分と同じ意見の人以外は、ほとんど誰のことも良識ある人とは思わない。》


人の傲慢な自意識についても言及している
けっきょく、人は、どんな偉人の思想よりも
自分の判断力を優先するし、そうするしかないみたい


《338 われわれの憎悪があまりにも激しい時、その憎悪はわれわれを、憎んでいる相手よりも一段劣る人間にする。》

《411 人は、欠点を隠すために弄する手段より以上に許しがたい欠点など、めったに持っていないものである。》

《431 自然に見えたいという欲求ほど自然になるのを妨げるものはない。》

《481 真の善良さにも増して稀なものはない。善良だと自分で思っている人さえ、ふつう、愛想のよさか弱さしか持っていないのである。》

《583 親友が逆境に陥った時、われわれはきまって、不愉快でない何かをそこに見出す。》


いちいち耳がいたいこと
自分の欠点を糊塗しようとする人間の滑稽さよ

すくなくとも、おれ自身は
ほぼすべてを自分のこととして読みました
ここまで内心を暴かれると、逆にすがすがしい


◆この箴言集を、真面目に読んだ場合
気が楽になる人と、暗澹とさせられる人に
おおむね分かれるんじゃないかと思う

人は高みに向かっていくべきだと考えている人は
怒るか、意気消沈するか、でしょうか

おれは、すごく気が楽になりましたです
いいじゃないですか、人間、こんなもんで

ここまで言っておきながら、ラ・ロシュフコーは
真の善意、真の高潔さを人は持ちうる、という前提に立っているみたい
この箴言集であげつらったような偽善は、すべてにせものなので
本物の善、真に高い人間性を目指そう、と書いている

しかしここまで書いてると、何をどうやっても
偽善のそしりはまぬがれないように思えるな
けっきょく、善と偽善をはっきり分ける境界線は
見る者の基準、嗜好によるんじゃないだろうか

気に入った人はほめあげて
気に入らない人はこきおろすために、つかいまわされる道具
言葉、論理なんてのは、元来そういうもんだと思います

ロシュフコー本人も、結局自家撞着に陥らざるをえなかったみたい
「自画像」と題された、自己を評価した短文があるけれど
併記されている、レ枢機卿の書いたロシュフコー評と
えらいくいちがってて、わりとゆかい


◆ロシュフコーの箴言は、正しいのだろうか
おれとしては、それはどうでもよいな
役に立つ言葉なのはたしかなのだ

この箴言集は、おれのみたところ
いわば「こきおろし方レシピ」みたいなものです
この箴言集を参考にすればどんな人間が相手でも悪口がいえるぜ!
なぜというに
善意や虚栄心の有無といった、人間の内心を突いているからですね
こういうのは、証明する方法がないので、いくらでも叩ける

いまひとつの使い方としては
自戒のために唱えるということ
いつ読んでも、自分をいましめる言葉は見つかると思う
思い上がりたくないという人には、役に立つぞきっと

そういうふうに
他人を内心でこきおろしてストレス解消したり
自分をいましめたりするのに、すごく使える箴言集だ
これらの言葉に正誤を問うなら、それは、相手次第です


《436 人間一般を知ることは、一人の人間を知るよりもたやすい。》


ロシュフコー自身がこう書くように
一般論だったら、いくらでも的を得たことが言えるけど
いざ一人の人間を相手に、実地において
箴言でやってけるかどうかは、実にこころもとないですね


◆ロシュフコーのなしたことは
人間の矮小化だと見る向きもあるだろうけど
おれは、また違う見方になる


《305 私欲は諸悪の根源として非難されるが、善行のもととして褒められてよい場合もしばしばある。》


おれとしては、この言葉を拡大解釈したいな
けっきょく、人は、私欲や虚栄心で動くわけだけれど
別にいいではないか、それで
立派なもんじゃないですか


《 誰もが他人を犠牲にして自分の楽しみや利益を見つけようとする。(中略)相手より自分を大事にしたい気持は、あまりにわれわれにとって自然で、これを棄て去ることは不可能だから、せめて隠す術ぐらいは心得るべきであろう。》


書中の『考察』では、このように書かれてます
内心がどうであろうと、それをうまく隠すことがだいじということ

これは、救いです
心の中が虚栄や嫉妬に満ちていようと
大事なのは外面や結果なんだな

人間、誰しも心の中はろくでもないものだ
それを受け入れ、許容できたら
人間社会は、すごく生きやすくなる気がしますな

愛とか善意とかを標榜する人を
おれは、信じません
ほんとにそうなら、わざわざ言う必要はないのだ
相手が喜んでいるかどうかという結果が大事なんだけど
結果を気にするより前に、自分の立派さばかりを言い立てる人は
おおい
虚栄心や自己満足のために、他人をだしに使っているひとたち
そういうのが、おれはきらい
居直って悪事やってる人のほうが、ずっと好感が持てます

自分の中の卑しさや悪徳を認めずに固持するひと
そういう人が
けっきょく、人の世の暴力を担っているような気がしてなりません
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