クロスケのブログ

この人の彼女って苦労しそう

2008-04

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いしいひさいち『女には向かない職業』

◆いしいひさいちの漫画が、おれは大好きです

キャラの描き分けのバリエーションがすさまじく
それらがいちいち可愛く、非常にリアルな表情を見せていて
読むたびにその技術と画力に圧倒されてしまう

いしいひさいちの描く世界は
徹底した脱力感と明朗快活なニヒリズムに支配されていて
そのへんがおれごのみで、とてもいごこちがいい

『ののちゃん』は大好きだし
『ホーホケキョとなりの山田くん』は
スタジオジブリの映画の中で一番好き
あれは素晴らしい出来でしたなあ


◆『女(わたし)には向かない職業』の主役は
あの『ののちゃん』の担任であった、藤原先生だ

いしいひさいちの描く女の子は
おれの中の「漫画界かわいい女の子ランキング」では
トップランクに位置されておりますが
その中でも、藤原先生が一番好きです
簡素な描線の中に、きちんと色気と可愛さが凝縮されていて
何をどうしたらそこまで描けるようになるのか本気で知りたい

やぶにらみの表情が一番いい

小学校教諭と新人推理作家の二足のワラジ生活を経て
作家として一本立ちしてからのトンチキ執筆活動を描く漫画
教師と作家のそれぞれの顔がみられてとてもおとく感
第二巻では女子高生時代の姿も描かれててさらにおとく

藤原先生、かなりおれの好みのタイプの女性で
全体的にガタガタな自制心の持ち主
よく言えばおおらか、悪く言えばズボラな性格は
教師時代からいかんなく発揮されており
生徒のほうでも、扱いに困ってるごようす
自分にも他人にもなにかと無頓着なひとらしい
こういう人好きだなあ

周囲に呆れられながら
才能と美貌だけでオトナを押し通すさまは、痛快
かくありたいものだ
どことなく種田山頭火を思わせるな

いしいひさいちのフィルターを通して描かれる世界は
みんないつもどっかしら慌ててるのに
実にのんきな予定調和にここちよく収まっていて
ひとつの理想郷をなしている
これもまた漫画の極北だと思う
かけだし漫画家として、後塵を拝させていただいております
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ウィザーズオブコースト『マジック:ザ・ギャザリング』

◆おれはゲームがだいすきな人ですが
どのジャンルが好きかといったらば
これはもう、「格闘ゲーム」と「カードゲーム」にとどめを刺します
おたくです

今日は、元祖トレーディング型カードゲーム
『マジック:ザ・ギャザリング』(以下マジック)で、だべる


◆といっても、実は、今はやっていない
高校生の頃ははまってたのだけど

第一に、相手がいないこと
第二に、お金がかかりすぎること
第三に、対戦ゲームとしてのバランスに疑問を感じたこと
以上の理由で、買ってません

でも、カードイラストは大好きなので
新しいカードセットが出るたびに
オールカラーで全て掲載されているガイドブックを購入して
堪能しておる

ゲームは好きだけど
ゲームの中の世界観にはのめりこめなくなって久しい
大人になっちゃった今、おれにとってのゲームは
物語ではなく、オモチャにすぎなくなった感があります
いま、世界観に感情移入してのめりこめるゲームは
任天堂の『MOTHER』シリーズと
この、マジックぐらい

アメリカ産ゲームであるマジックのカードは、かっこいいです
イラストが猛烈にうますぎて、魅せ方もすごいし
全体的に殺伐としたストイックさも、すごくおれごのみ

ストイックとはいっても
たぶん、日本人の目で見てるからだと思う
露出度の高い女の子もいるから
本場アメリカ人からすれば、日本でいうところの
いわゆる「萌え要素」というのもあるのだろうけど
日本人が見れば、みなさん濃い顔のいかついねえちゃんなので
商業的な媚が見えてしらけるということがない、てことでしょうか

「理解できない」ことの利点は、大きい

あとカード名がとてもよいです
英語名を日本語に翻訳する過程で生まれる言葉は
日本人の発想ではそうそう出てこないようなものも多く
日本語好きとしては、すごく刺激されるのだ

そういういかしたカード群は
ゲームをやらずとも集めてみたくなるけど
なにしろ金食い虫だし
集めてると、すぐにダブりのカードが山のようになって
ダンボール箱なんぼとかになるので、よしてる


◆マジックというカードゲームに触れて、すごいと思ったのは
弱いカードはコストが安く、強いカードは高い、というシステム
単純なようだけど、これには感動しました

たとえばドラクエだったら
メラゾーマを覚えたら、メラを使う理由は絶無である
そこまでいってると、敵も強くなってるから、メラなんて効かない
だけど、結局、数字のケタが大きくなっただけで
スライムにメラをかけるのも、キングスライムにメラゾーマをかけるのも
やっていることは全くおんなじです

でもマジックでは、メラにも意義がある
最初は強力な魔法なんて使えないから、魔力が貯まるまで
少ないコストで出せる弱い魔法を使いまわして持ちこたえることになる
終盤戦になっても、小回りが利くという理由で、弱い魔法の活躍の場は残る

そういう、適材適所というか
どんなものにも存在理由があるという世界が、とてもここちよかった

実際には
「コストが安いくせに威力が高い魔法」が横行して
けっきょく、弱い魔法はほとんど出番がないのが実情なんだけどさ
《タルモゴイフ》って、なんだ

すごく可能性を感じたシステムでしたよ


◆このマジックが、アメリカ本国でヒットしたことに端を発する
トレーディングカードゲームというジャンル
日本では、子供やおたく向けの販売戦略としてすっかり定着してる
人気漫画がアニメになったら、必ず、カードゲームも出ます

日本産のは、なんだか、萌え系のが多くて
おれの好みにはあわない
『レンジャーズストライク』(特撮ヒーローもの)は
絵がものすごく描き込まれてて、おののいたけれど
特撮、知りませんし

カードゲームというのは、すごい売り方をしていて
こんなもんよく成立してるなって気も、おれとしてはする

数百種類からなるカード群の中から
1パック(およそ5~15枚)を数百円で売る、というもの
そうして集めたカードの組み合わせは無限大!
世界で一つの、自分だけのデッキで戦おうッていうのが
トレーディングカードゲームのたてまえなんですが

実際には、強いカード、強い組み合わせというのが
あッというまにネットやらなんやらで流布するので
そうした強いテンプレートにのっとって
必要なパーツを買い集めていく、というのが
対戦ゲームとしての実情みたいです

けっきょく、何百種類あるカードの中で
使われるカードは、いいとこ百種類あるかないかみたい
これは開発元も、ある程度意図してやっているらしくて
こんなん何に使うねんっていう弱いカード、多し

トレーディングカードゲーム、すごい沢山あるんですが
どれもこれも似たような状況になってて、なんだか寂しい
とてもかっこいい、いかすカードを手に入れても
弱いからデッキには入れられなくてガッカリ、てことが重なって
フラストレーションがたまる
とくに好きでもないのに、強いからという理由で集めたカードで
デッキ作って勝っても、べつに楽しくないとおれなんかは思ってしまうのだけど

何百枚、何千枚とカードを買い集めて
ようやく対戦ゲームとしてのセオリーを掴めるのが
トレーディングカードゲームですが
そこまでお金かけてつきあって、ゲーム性を理解したところで
好みに合わないってわかってしまったら
あとに残るのは、失ったお金と時間と山のようなダブりカードばかり

すげー非効率的
なのでおれは、テレビゲームでしかやりませんです、カードゲーム
しかしこういう、少数派のマニアをあてこんだ販売法が
きちんと商売として成立しているという実態は
とても面白く、すごいことのようにも思える


◆というわけで、ガイドブック見てるだけのおれですが
最新のカードセット『シャドウムーア』の本をかってきましたので
ちょっと、気になったカードでだべっていきます
わかんない人はおいてけぼるよ!

カード名クリックしたら、絵がみられますよ


《復讐の亜神》

ぶっ壊れてるというか
今回の客寄せパンダみたいな位置にあるカード
単なるバランスブレイカーって気がするけど
こういうのが活性化につながっている側面もあるみたい

飛行と速攻という組み合わせの有用性は
《刃の翼ロリックス》が確立した勝利の方程式だけど
プレイしたときに墓地から引っ張ってこれるのは、やりすぎだ
プレイ誘発型だから、打ち消されてもリアニメート成立
どう転んでも大丈夫な、はずれクジなしの万馬券という印象

黒と赤という組み合わせは、おれもよく使ってたし
絵的にもかっこよくて大好きなんだけど
ここまでやられるのも複雑な気分です


《黄昏の番人》

すんげー腕の長いおねえちゃん

これもかなりやりすぎ度は高いけど、まあ大丈夫かしら
5マナと6マナの差は、でかいし
復活能力も、直接場に出すのではなく手札に戻すというところに
良心をかんじます
かっこいいので使ってみたい


《ミストメドウの身隠し》

この絵、なんか大好き

コスト3以上に対するプロテクションという
非常に稀有な能力を持ったキスキン
以前のセット『未来予知』に出たときは、将来的に
マナコストの点数に着目したセットが出るのかと思ったけど
蓋をあけてみたら、こいつだけでした

《眼腐りの終焉》をよせつけないのはちょっと面白いけど
どっちみちこの程度のクリーチャーにそこまでしません
リミテッドで、独特の使用感を味わってみたいな


《アッシェンムーアのしもべ》

素晴らしいッ
パワーが高くてタフネスが低いというクリーチャーは
パッと見は気持ちいいけど、実際はすぐ死ぬので
使われないことがほとんどだけれど
こいつはそのフラストレーションをぶっとばしてくれる性能だ

立ってるだけで強いし、殺したら焼きますよっていう
死なばもろとも的やけくそ能力が、すごいおれごのみです
いかすー


《うろ穴生まれのバーゲスト》

能力的には、「重い」のひとことでかたづけられるキャラですが
絵本みたいなイラストが大好きです


《難問の鎮め屋》

すごい……
打ち消し呪文への対抗策というのも、ちょろちょろあるけど
ここまでお手軽で安定しているのは初めてじゃなかろうか

問題は除去への耐性が絶無なこと
青単色にはけっこう効きそうだけど、どうだろ


《曲がりくねりのロシーン》

X呪文限定の強力ブースト、おもしろいです
《永劫の年代史家》の待機がやりやすくなるなー


《ブリン・アーゴルの白鳥》

なにこれー
すごいけど、難しそう
相手にしてみれば《火葬》が、2マナで3枚引けるカードになるということ
大丈夫なんでしょうか

パワー4の主砲として使うなら、いろいろと露払いが必要になりそうだが
そういう手間のかかるカードが強いかどうかは怪しい
でも使ってみたい


《薄暮の大霊》

《復讐の亜神》もすごすぎるのだけど
実際には、この《薄暮の大霊》
現環境での強力なライバルになると睨んでおります

書いてあることは、単純ながらすごい
青、黒、赤に対するプロテクションは圧倒的すぎる
白と緑にはノーガードだけど、もともとこのふたつは
クリーチャー除去は得意じゃないので、平気だ
最近の白は《忘却の輪》などがあるので
ちょっと不安だけど

なにより、『シャドウムーア』では
多色というか、マナ混成カードがメインになっている
色を複数持っていると、プロテクションにも引っかかりやすく
《薄暮の大霊》のプロテクションが機能する機会は
想像よりもはるかに多いとみた

要注意っぽいぞ


《増え続ける荒廃》

『ローウィン』の《増え続ける成長》を単純にひっくり返しただけの呪文だけど
そのポテンシャルははるか上になっとる
なにしろ、一枚で三体除去できるんだぜ
相手のクリーチャーが二体以下だったら、自分のにカウンター置くハメになるけど

-1/-1カウンターを置くシステムは、今回多い
《真夜中のバンシー》《クルラスの騎士》なんかとの組み合わせが面白そう


《茨見張りのカカシ》《魅了縛りのカカシ》《ピリ=パラ》
 《小枝の戦這い》《閉じ顎の噛みつき》《不気味な戯れ児》

今回ツリーフォークがあんまりいないなと思ったら
アーティファクトとして、変わり果てたお姿になっておられた

かっこええー
カカシシリーズ、実にいかしたビジュアルです
カカシデッキ、ぜひ作ってみたい

このところ、邦訳がどんどん奔放になってるなと思う
こんなネーミング、思いつかんですよ

カード的には、まあ、弱いが


◆このところ、クリーチャーの強化が目立つ
おれもクリーチャーで殴り殺したい派なのでうれしいですが
ちょっと試合運びがシンプルすぎる気もするな

強力クリーチャー対除去呪文の応酬で
先に弾が切れたほうが負けみたいなかんじか

山札切れ狙いとか、変なデッキの活躍にも期待したいです

2008/4/24

◆あの、このタイトルの日付
最初は漢字で表記しようと思ったんですよ
でも西暦まで漢字で書くとしたら、こうなるわけです

「二千八年四月二十四日」

なんか、すごくおさまりわるくないですか?

二千と八の間に、なんかほしいよなー
すごくおさまりのわるい時代に生きてるんだなあと思って
なんだかおちつかなくなってしまったよ

一九九八、とかならおさまりいいのに
今それやったら、二零零八だ、なんか変
いい時代であったのだなあ
フハッ


◆今日はまちにまった
『大乱闘スマッシュブラザーズX』の
攻略本のはつばいび
ひとっぱしりかってきた

スマブラXの攻略本
なんか、いろんな出版社から
同時にずらーっと発売されてて、びびる
そういうもんなの?
とりあえず、大丈夫なファミ通のを選びました
エンターブレイン様には毎度お世話になっております

しかしブ厚いこと、狂気のジャスト800ページ
人も殺せる厚さ、広辞苑にせまるいきおいだ
他のゲームで、こういうブ厚い攻略本見ると
頁が厚いんだし、重いし読みづれーだろと常々思ってましたが
好きなゲームで出るとホクホクしてるんだから
げんきんなものです
読みづらいけどさ

格闘ゲームの攻略本は
技表とか読んでるだけで時間を忘れるので、大好きです
ゲーメストムックで何時間でもつぶせていた少年時代


◆山口県の母子殺害事件の被告に
死刑判決が下ったそうです

こうした事件は、毎度大きく報道されるので
感覚が麻痺してきてしまうところもあるが
毎回思うことがある

家族を殺されようが、財産を騙し取られようが
犯人への制裁措置に関して
被害者は全く関与できないのだよな
司法裁判に委ねられた時点で
「家族の問題」は「社会の事件」として横取りされ
当の被害者はカヤの外、一切の決定権をもらえないまま
司法が裁き、社会が納得して、事件が終わったことにされるのを
ただ指くわえて見てるしかない

法を無視した犯罪に対して
被害者は法に縛られたままというのは
どうも釈然としないなあ
どうにも、やられ損に思える
みなさん
自分だったら納得できますでしょうか

こういう思いが
必殺仕事人とかワイルド7とか
そういうキャラを生み出してきたのかもしれんなあ

かといって
私的復讐を認めると、社会秩序が危ういのも
わかるつもり

自分、社会というものに対して
その必要性も功績も認めてるけど
感情的には、だいきらいです


◆当ブログのリンクに、またひとつ追加さしていただきました

『Ciel』/大隈(ジャック・ハムスター)さん
とてもうつくしい光彩の絵をかかれるおかた
戦闘機もいかす、この光の表現にはあやかりたいものです

以前ホームページをやってた時にも
お世話になってたので
勝手に継続貼りしてまいましたが
今後ともよろしくおねがいします

SNKプレイモア『どきどき魔女神判』/バンダイナムコゲームス『DUEL LOVE』

blog1.jpg

◆ニンテンドーDSにおける
愛すべき馬鹿ゲーム二大巨頭
よくぞまあやってくれたものです

おなごの身体をまさぐり
あわよくばちちをもんだり揺らしたりしようというのが
『どきどき魔女神判』
逆に、美少年どもの身体を同じくまさぐり
あわよくばヘブン状態にいたらしめようというのが
『DUEL LOVE 恋する乙女は勝利の女神』
こっちは女性向け

上下二画面のうち、下側のタッチスクリーンに
タッチペンで触ることで直接操作できるというのが
ニンテンドーDSの最大の特徴ですが
それを悪用したのが、このふたつということになりますか

おれはオスなので
『どきどき魔女神判』を、やりました
『DUEL LOVE』は、さすがに触っておらず
パッと見の印象だけで喋りますが、勘弁されたし
絵柄によってはやったかもわかんない


◆合法的にまさぐるべく、これらのゲームは
実に自然な物語設定がほどこされておる

『どきどき魔女神判』は
一般市民にまぎれこんでいる魔女をあぶり出すために
あやしいおなごの身体をまさぐって
魔女の身体に刻まれている刻印をさがすのが目的

『DUEL LOVE』は
夜な夜な旧校舎で格闘大会「B-1」が行われる学園で
選手である男子生徒に接近し、マネージャーとして
汗をふいてあげたりシャワーをのぞいたりマッサージしたりするゲーム

君達は馬鹿か
うれしくなってくるほどの阿呆ぶりです
こういう馬鹿を真剣にやってくれる人というのは
必要だし、貴重だと思う
人間まだまだすてたもんじゃねえな!

緩急をつけたテクニカルなタッチを駆使することで
対象をあはんうふんな気分にさせれば
よい成績を残すことができるというゲーム性は
両方に共通しています

ばかだねえ

もっと他にやりたいことがあるんだろうけど
そこは健全なにんてんどーDSなので
寸止めの可愛いイタズラでことをすましてるようだ

『どきどき魔女神判』は
えろげー紛いのきわどいセリフがこれでもかと盛り込まれており
露骨に狙ってきております

こういう、直球を避けたほのめかすような表現で
きちんと楽しんだり興奮したりできるというのは
もしかしたら人間の、すごく品のいい叡智なのかもしんない


◆いい意味で、これは
子供の発想なんじゃないだろうか

インベーダーやらファミコンやらで
テレビゲームという文化が一般に浸透しはじめた頃
子供だったひとたちが、いま大人になってゲームを作ってる

「客が喜ぶものを」というのが大人の発想だとしたら
「自分たちがやりたいものを」というのが子供の発想だと思う
一昔前だったら、こんな馬鹿なゲーム
大多数に売れないとか、一般良識から外れるとかいう理由で
GOサイン出なさそうだけど
いまは、ゲームで遊んできた世代が、やりたいゲームを作ってしまう

こういう子供っぽい馬鹿を受け入れる客層も開拓された感
昔は大ヒットを狙って、常に小学生ぐらいをターゲットにしてきたけど
いまはいろんな客層があって、面白い

子供ならではの、自由な発想力を感じる
ゲームという表現がこなれてきたということかな
文化としてのゲームは、まだまだこれからだと思いました

商品としてのゲームは、これまで
システムの目新しさやグラフィックの美しさで競われてきた
でもそれも、いいかげん頭打ちになってきた感もどこかでする
これら馬鹿ゲームや、任天堂の『MOTHER』シリーズとかみたいに
技術よりも発想で勝負するのが、これからのゲーム競争なんじゃなかろか

すべからく文化、表現というのは
サブカルチャーになってからが面白いと
おれとしてはおもうのです

こういう馬鹿を
いずれはおれもやってみたいと思うんですが
おそらく、生半な信念とセンスではできないだろうな

尊敬


ラ・ロシュフコー『箴言集』

◆やたらと共感しどおしだった本
座右の書にしようかしら


《われわれの美徳は、ほとんどの場合、偽装した悪徳に過ぎない》


このような序文からはじまる、この箴言集
十七世紀の文学者ラ・ロシュフコーさんが執筆したもので
序文にあるように
人間の偽善やごまかしを、これでもかとばかりにあばきたてた
実に胸のすく名著です
しかし四百年も前なのに、ぜんぜん古さをかんじないなあ


◆人は大昔から、自分や他人のすることを
愛やら度量やら奉仕やら、いろんな美辞麗句でかざりたててきました
それもロシュフコーさんにかかれば、以下のようになるみたい


《16 人びとが美徳とするこの寛恕は、ある時は虚栄心、間々怠惰、しばしば危惧、そしてほとんど常にこれら三つ全部の協力によって実践される。》

《143 われわれが他人の美点を褒めそやすのは、その人の偉さに対する敬意よりも、むしろ自分自身の見識に対する得意からである。だから他人に賛辞を呈しているように見える時でも、実は自分が賛辞を浴びたいと思っているのである。》

《177 あくまでも忠実であることは、非難にも称賛にも値しない。なぜならそれは、好みと感情という、人が自分から取り除くことも、自分に与えることもできないものの持続に過ぎないからだ。》

《409 われわれの最も立派な行為も、もしそれを生み出したすべての動機を世間の人に見抜かれれば、われわれはしばしばそれを恥じることになるだろう。》

《463 自分の敵の不幸を憐れむのは、多くの場合優しさよりも傲慢からである。彼らに同情のしるしを示すのは、自分の方が優位に立っていると思い知らせるためなのである。》


善意や向上心のためだと人が称するあらゆる行為を
ラ・ロシュフコーは、かたっぱしから
欲得や嗜好による打算にすぎないと看破してしまう
どんな善行も、無償の愛すらも
虚栄心というレッテル貼りひとつで美徳の仮面をはがされちまいます

ロシュフコーさん、かなり性格悪そうだぞ

いろんな著名人に反撥されたらしい、この箴言集
人間はどこまでも俗物であり、高潔な精神などは幻想だといわんばかりです
はははははははははははははは
おれの考え方とほとんどいっしょで、実に痛快


《77 愛は、人びとが愛ゆえと称する無数の駆け引きにその名を貸すが、ヴェネチア総督がヴェネチア共和国で起きることについて与り知らないように、そういう駆け引きは愛の与り知らぬものなのである。》

《187 美徳の名は悪徳なみに有効に欲の役に立つ。》

《262 恋ほど自分自身への愛が強く支配する情念はない。そして人は常に、自分の心の安らぎを失うくらいなら、恋する相手の心の安らぎを犠牲にしようときめているのである。》

《235 友達の悲運も、それが彼らに対するわれわれの友情を示すのに役に立てば、それだけでわれわれは悲運のことはさっさと忘れてしまう。》


自分の愛とか、善意とか、人はことさら主張するけれど
そういった動機の説明を、なんでわざわざするかというと
発言力や影響力を得るためのかけひきであることが多い
こんなに立派なわたしのいうことをききなさい、ということ


◆遠慮会釈なしに言いたい放題いいたおすロシュフコーさん
人間の弱さについても、すごい辛辣に糾弾する
われわれが日常、自分自身に対して
ほぼ無意識に行っているごまかしも、見事にあばいてくれやがります


《31 もしわれわれに全く欠点がなければ、他人のあらさがしをこれほど楽しむはずはあるまい。》

《107 断じて媚は売らないと標榜するのも一種の媚である。》

《184 われわれが自分の欠点を告白するのは、その欠点のせいで人から悪く思われた分を、率直さによって埋め合わせるためである。》

《389 他人の虚栄心が鼻持ちならないのは、それがわれわれの虚栄心を傷つけるからである。》

《398 われわれが自分のすべての欠点の中で最もあっさりと認めるのは怠惰である。われわれは、怠惰は柔和な美徳のすべてに一脈通じるところがあり、かつ他の美徳も完全にうち崩すわけではなく、単にその働きを遅らせるだけである、と信じ込んでいるのである。》


184と、398がすごいな
なんだか、日本人特有の、公開日記の文章のいやらしさに
もののみごとにあてはまる気がする
これ意識したら、ブログがかきにくくなるなあ


《22 哲学は過去の不幸と未来の不幸をたやすく克服する。しかし現在の不幸は哲学を克服する。》

《89 誰も彼もが自分の記憶力を慨嘆し、誰一人として自分の判断力を慨嘆しない。》

《296 少しも尊敬していない人を愛すのは難しい。しかし自分よりはるかに偉いと思う人を愛することも、それに劣らず難しい。》

《347 われわれは、自分と同じ意見の人以外は、ほとんど誰のことも良識ある人とは思わない。》


人の傲慢な自意識についても言及している
けっきょく、人は、どんな偉人の思想よりも
自分の判断力を優先するし、そうするしかないみたい


《338 われわれの憎悪があまりにも激しい時、その憎悪はわれわれを、憎んでいる相手よりも一段劣る人間にする。》

《411 人は、欠点を隠すために弄する手段より以上に許しがたい欠点など、めったに持っていないものである。》

《431 自然に見えたいという欲求ほど自然になるのを妨げるものはない。》

《481 真の善良さにも増して稀なものはない。善良だと自分で思っている人さえ、ふつう、愛想のよさか弱さしか持っていないのである。》

《583 親友が逆境に陥った時、われわれはきまって、不愉快でない何かをそこに見出す。》


いちいち耳がいたいこと
自分の欠点を糊塗しようとする人間の滑稽さよ

すくなくとも、おれ自身は
ほぼすべてを自分のこととして読みました
ここまで内心を暴かれると、逆にすがすがしい


◆この箴言集を、真面目に読んだ場合
気が楽になる人と、暗澹とさせられる人に
おおむね分かれるんじゃないかと思う

人は高みに向かっていくべきだと考えている人は
怒るか、意気消沈するか、でしょうか

おれは、すごく気が楽になりましたです
いいじゃないですか、人間、こんなもんで

ここまで言っておきながら、ラ・ロシュフコーは
真の善意、真の高潔さを人は持ちうる、という前提に立っているみたい
この箴言集であげつらったような偽善は、すべてにせものなので
本物の善、真に高い人間性を目指そう、と書いている

しかしここまで書いてると、何をどうやっても
偽善のそしりはまぬがれないように思えるな
けっきょく、善と偽善をはっきり分ける境界線は
見る者の基準、嗜好によるんじゃないだろうか

気に入った人はほめあげて
気に入らない人はこきおろすために、つかいまわされる道具
言葉、論理なんてのは、元来そういうもんだと思います

ロシュフコー本人も、結局自家撞着に陥らざるをえなかったみたい
「自画像」と題された、自己を評価した短文があるけれど
併記されている、レ枢機卿の書いたロシュフコー評と
えらいくいちがってて、わりとゆかい


◆ロシュフコーの箴言は、正しいのだろうか
おれとしては、それはどうでもよいな
役に立つ言葉なのはたしかなのだ

この箴言集は、おれのみたところ
いわば「こきおろし方レシピ」みたいなものです
この箴言集を参考にすればどんな人間が相手でも悪口がいえるぜ!
なぜというに
善意や虚栄心の有無といった、人間の内心を突いているからですね
こういうのは、証明する方法がないので、いくらでも叩ける

いまひとつの使い方としては
自戒のために唱えるということ
いつ読んでも、自分をいましめる言葉は見つかると思う
思い上がりたくないという人には、役に立つぞきっと

そういうふうに
他人を内心でこきおろしてストレス解消したり
自分をいましめたりするのに、すごく使える箴言集だ
これらの言葉に正誤を問うなら、それは、相手次第です


《436 人間一般を知ることは、一人の人間を知るよりもたやすい。》


ロシュフコー自身がこう書くように
一般論だったら、いくらでも的を得たことが言えるけど
いざ一人の人間を相手に、実地において
箴言でやってけるかどうかは、実にこころもとないですね


◆ロシュフコーのなしたことは
人間の矮小化だと見る向きもあるだろうけど
おれは、また違う見方になる


《305 私欲は諸悪の根源として非難されるが、善行のもととして褒められてよい場合もしばしばある。》


おれとしては、この言葉を拡大解釈したいな
けっきょく、人は、私欲や虚栄心で動くわけだけれど
別にいいではないか、それで
立派なもんじゃないですか


《 誰もが他人を犠牲にして自分の楽しみや利益を見つけようとする。(中略)相手より自分を大事にしたい気持は、あまりにわれわれにとって自然で、これを棄て去ることは不可能だから、せめて隠す術ぐらいは心得るべきであろう。》


書中の『考察』では、このように書かれてます
内心がどうであろうと、それをうまく隠すことがだいじということ

これは、救いです
心の中が虚栄や嫉妬に満ちていようと
大事なのは外面や結果なんだな

人間、誰しも心の中はろくでもないものだ
それを受け入れ、許容できたら
人間社会は、すごく生きやすくなる気がしますな

愛とか善意とかを標榜する人を
おれは、信じません
ほんとにそうなら、わざわざ言う必要はないのだ
相手が喜んでいるかどうかという結果が大事なんだけど
結果を気にするより前に、自分の立派さばかりを言い立てる人は
おおい
虚栄心や自己満足のために、他人をだしに使っているひとたち
そういうのが、おれはきらい
居直って悪事やってる人のほうが、ずっと好感が持てます

自分の中の卑しさや悪徳を認めずに固持するひと
そういう人が
けっきょく、人の世の暴力を担っているような気がしてなりません

リンク開設

◆ともだちのー わっ

わたしのブログにも、リンクがつきました
基本的には
ホームページをやっていた頃のリンクを
そのまま持ってきてます
新規に申し込ませていただいた方もちらほら

掲載順は、あいうえお順(アルファベット順)に
いかせてもらってます

以下、かんたんにご紹介


『五十嵐日記』/五十嵐さん
もうれつに絵の上手いおかた
サイバーで硬質な塗りの自然絵がいかす

『セヲハヤミweb』/セヲハヤミさん
基本、アニメ『∀ガンダム』のファンサイトですが
ひとことで説明するのはかなりむずかしい
やさしい筆致の絵とゆかいな文体の日記があります

『吉緒まさおと迷子の羊BLOG』/吉緒まさおさん
4コマ漫画家を目指されている方
キャラクターと雰囲気がとてもおれごのみで、好き

『nambats』/SHIM-PEE-KUNGさん
まるまるとした輪郭、可愛さと色気の同居
個人的にやけにいごこちがいいとこ


とりあえず、こんなところ
リンクについては
今後増えたり減ったりすると思います
自分のとこからいろいろ行けると、べんり


◆ついでに、あらかじめ言っておくと
うちはリンクフリーですが
相互リンクのお誘いというのは、ご遠慮いただきたくおもいます

なんだ、あの
「相互リンクお願いします」というのは
相手の行動まで指示していて、ものすごいなと思う
すごい断りにくいし、困るな

貼るのはご自由ですが、貼り返すかどうかは
こっちの自由ということでおねがいしますよッ

任天堂『スーパーマリオギャラクシー』

◆任天堂の看板タイトル、スーパーマリオ最新作
今度は宇宙で冒険だ

ニンテンドウ64『スーパーマリオ64』を境に
劇的にスタイルが変わったマリオシリーズ
ゲームキューブの続編『スーパーマリオサンシャイン』
そして今回『スーパーマリオギャラクシー』と
3Dポリゴンの世界を縦横に駆け巡るアクションスタイルは
すっかり定着したみたいだ
たのしいぞ


◆世界をぐるぐる駆け回る感覚は
非常に楽しいんだけど
ファミコン、スーパーファミコン時代の
マリオシリーズの感覚を引きずっていると
思わぬストレスを感じてしまう
ポリゴンで表現された、360°全方向に広がる空間
それは、リアルに近づいたということでもあるけど
テレビという媒体との整合性は下がったように思える

情報が、把握できないのだな
そもそも、テレビの画面自体が平面なんだから
何をどうやっても360°全体を一目で見渡せるようにはできてない

かつての平面世界『スーパーマリオブラザーズ』では
マリオの前後と上下だけ気にしていればよく
ここに敵がいる、ここに穴がある、というように
ステージの全容が、一目見ただけで把握できた

3D世界のマリオでは
せわしなく移動や視点変更をしていかないと
指標や危険物といった、必要な情報が集められない
イケイケで走ってたら画面外の敵にぶつかったりして、あせる

カメラワークが、イライラしちゃうのよな
先へ進むにつれて
自動で視点がめまぐるしく変わっていくのだけど
ぐいーっと視点が変わると
レバー操作もそれにつれて変える必要がある
東に向かって走ってたはずなのに
視点が変わって、気がついたら北に向かっている
なんてことがよくあり、細かい方向転換をたびたび要求されて
地味にストレス
元来平面ゲーム用に作られたレバーによる操作では
制御に無理が出ているように思う

難しいステージになると、苛立ちどころでは済まなくなる
マリオがジャンプしてる真っ最中でも
容赦なくカメラは動いてくれちゃうので
足場に向かって跳んだはずが、なぜか奈落に飛び込んでたりする
縮尺が一定していないので、距離感も非常につかみづらい
最大の敵は、カメラ野郎であります

「パープルコイン オン ルイージ」面では
あまりの操作感に悶絶
何度死んだことか

かつての平面時代と比べると
ゲーム性に、大きな隔たりを感じる
昔は「わかるけど、難しい」だったのが
今は「簡単だけど、わからない」になったような
昔は、微妙な足場に飛び移るために
ドット単位で距離を測り、タイミングを計ったものだけど
今は、先への進み方自体がつかみづらい
いちいち、進み方をつかむまでにワンテンポ余計にかかる感
わかってしまえば、どれも至極簡単なステージだと感じるのだけど

今回問われるのは、テクニックというより
カメラワークをいちいち確認して進む
石橋を叩いて渡る慎重さのようだ
ノリノリの全速力で突き進むと、ホイホイ落ちるぞ
基本的に制限時間がなくなったこともあり
どうも、平面時代の小気味よいテンポは
だいぶ減退してしまったみたい


◆それでも面白いぞ、『スーパーマリオギャラクシー』

もはや到達しきった感のあるグラフィックで
砂漠の星や氷の星、マグマの星にオモチャの星などなど
多種多様なステージを駆け巡る

この「どこにでも行ける」感は、すごい
前述のさまざまな不満は、マリオ特有のものでもなく
3Dポリゴンのアクションゲームに
ある程度共通するジレンマだけれど
ここまで具体的に文句が言えるのは
完成度の高さの裏返しでもあります

3Dゲームでは、一見広大な世界に見えて
どうみても膝ぐらいの高さしかない柵に行く手をはばまれたり
空中に見えない壁があったりして
以外と行ける場所が少なく、おれなどはストレスを感じるのだけど
『スーパーマリオギャラクシー』には、それがほぼ全くない
行こうと思えば、目に入るところどこにでも行けます
行ったら行ったで奈落に落ちたりするので、自己責任だが

今回新たに加わった要素「引力」は
操作の難解さに拍車をかけてしまってる面はあるけど
このおかげで、自由度は飛躍的に上がった感がある
壁や天井にまではりついちゃあ駆け回るぞ

スターやらルイージやらパープルコインやら
なにかと「探す」ゲームだ
自由度の高い世界で、自分のペースで探索しながら
道標を探し出し、進み方を解き明かす楽しさ
進むごとに現出する奇想天外なギミックに
驚きながら翻弄されていく楽しさ

昔のマリオは、「オモチャ」だったけど
今のマリオは、「遊園地」なんだと思う
物見遊山の楽しさだなあ
面白さの性質は、だいぶ変わったけれど
赤いヒゲオヤジは、今日も最先端を走り続けているようです


◆もういい年のユーザーであるおれは
手のひらサイズの平面世界も恋しい

3Dゲームをやっていると
2Dゲームの、あの簡略化された記号世界が
洗練されたものに思えてくる節がある
平面という媒体にこれ以上ないぐらい合致した
パッと見で把握できる合理的な世界がいとおしい
テレビ画面でやっている限り
合理性という面では、3Dゲームは2Dゲームにかなわないと思います

そんな平面世界が恋しい人のためには、ニンテンドーDSで
『Newスーパーマリオブラザーズ』というのがでてるので
非常にありがたいであります
なんかやたらと売れたらしいので
(というか『ギャラクシー』よりずっと売れてる)
こっちの続編も、首を長くして待っておりますよ

わたしの初仕事

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◆4月11日発売の
『まんがライフオリジナル』にて
自分、漫画家デビューをさせていただきました

伊藤黒介『トモエの風景』、よろしくおねがいします

自分でゆうのもなんですが
ひどい描線です
線のきちゃなさにおいては
雑誌の中でダントツの自信がございます
こんなんで、いいのか
正直、こんなんで掲載が成ったという事実に
おれ自身が一番驚いている

ブログの自己紹介で
かけだし漫画家なんて書いてしまいましたが
これっきり仕事がこなかったら
赤ッ恥のコキッ恥であります

キツいぜ

ともあれ、雑誌にのれたのは
ほんとにうれしい
この喜びは、一生忘れたくないものだなあ

ブログはじめました

◆FC2さんとこからスペースを拝借し
以前からちょこちょこいぢってましたが
今日、正式に発表することにしました

クロスケのブログ、発足
みなさんよろしくおねがいします


◆北京オリンピックの開会は
やたらと波乱含みで始まったみたいだ

今回はいつにも増して
オリンピック自体よりも
それをめぐって浮き彫りになる、国家間の諸問題のほうが
みててずっと面白い

どこの国のどこが悪い、てことを言い出すと
本当にキリがないけど
チベットのひとたちの無事を祈ってます

とりあえず、こういう問題を見過ごしにしてきたアメリカに
世界の大義は語っていただきたくないかんじだな


◆さいきん
隔週刊イブニング連載『餓狼伝』の
藤巻十三がかっこよすぎます

C.S.ルイス『ナルニア国ものがたり』

◆J・R・R・トールキン『指輪物語』と並んで
現代ファンタジーの草分けといわれているらしい
ファンタジー冒険活劇の名作であります

これの翻訳者は
『指輪物語』『ホビットの冒険』といったトールキンの代表作も翻訳なされた
瀬田貞二さんだ
雰囲気薫る構文、今回も堪能させていただきました

なにかと壮大
全七巻を通して描かれるアスランの物語は
あちこちに伏線がはられまくっており
なんだかやけにスケールがでかい

数千年におよぶナルニアの歴史をたどっていくのが
ナルニア国ものがたりの概要
数々の伏線をいっこずつ拾い集めながら読み進み
いよいよ世界の真実に至る最終巻までを一気に読破

この終わり方は、すげえな思った
「ええーっ そんな終わり?」とかちょっと思った

岩波少年文庫、最終巻『さいごの戦い』では
巻末に、英文学者の竹野一雄氏による解説が添えられており
それを読むと、この物語の主題
少なくとも作者の意図がわかる

なんだかちょっと、取り残されたような気がしたおれだ
みんなそっちへ行ってしまうのか
おれはそこへは行けないよ、信仰がないから
なかまはづれ感


◆このお話におけるアスランは
全能で完全無欠な存在
矛盾なき正義の象徴として描かれる
そのあたりは、おれの好みとは違いました
そういうものが存在してるんだったら、苦労はないよな
みんなが納得する絶対的な正義というものが存在しないから
みんなそれを求めて、奔走したり戦ったり思考したりする
それが人間の歴史だと思うのだけど
最初から、矛盾なき答えが確立していて
このひとのいうこときいてればオッケーですよっていう状況は
簡単で、いいな

それでもやはりナルニアは理想郷だ
疑念を差し挟む余地のない正義を土台に据えた現代の神話は
読んでいて安心感があって、痛快

登場人物たちの、より高いところへ向かおうとする精神性が
あぶなっかしくも美しい
児童書として
信仰心の強さ、美しさが
詩的、絵的な構成で素朴かつ真摯に表現されている印象

宗教、信仰の利点と弊害は
うんざりするくらい難しい問題なのだけど
ファンタジーの中では、道程の正義は保障されているので
存分に追求し、高揚感に酔える

ファンタジーの美点を凝縮したような傑作
物語を通して、信仰の高揚感を疑似体験できた
宗教にはいろいろ思うところはあるけど
憧れも大きいおれ
存分に、ご相伴にあずからせてもらいました

しかし、毎回文庫の冒頭で
全力でネタバレの解説が載ってるのはなんとかならんか

筒井康隆『巨船べラス・レトラス』

◆自分は筒井康隆の大のファンで
誰の小説をいちばん読んできたかといえば
このおひとです

『巨船べラス・レトラス』は
筒井氏お得意のメタフィクショナルな手法で書かれていて
恣意的に強調されたその要素のために
時間軸や空間軸が複雑に交じり合っておる
行間がなく、かなり唐突に場面の転換があって
そのたびにあれ、という軽い混乱があります
階段を下りていて、最後の段を読み誤って
下りるつもりで床におもいきり足をたたきつけちゃうようなかんじか
この感覚が、自分は大好きなのであります
ジェットコースターに乗ってるみたいな、筆致になぶられる快感
こういうやりかたは、筒井康隆よくやっていて
『虚航船団』とか『虚人たち』とかにみうけられる

『巨船べラス・レトラス』のテーマは
「文学の現状」でした
文学、ブンガクというものにはおれぁ疎いです
趣味の濫読で、系統立った読み方はしてませんしな
でも、こういうエンターテインメントとしての文学論は
とてもおもしろいので、だいすき
『文学部唯野教授』でも、筒井氏には大変楽しませていただいた
『大いなる助走』にも通じる、現場状況のリポートが
かなり痛快

まあ、わかるかと聞かれればわからないし
「作家の使命」とか「読者の質」とかいったことを
考えこそすれ、大上段に論じる気はないつもりです
文学は死んだ、なんて言われているそうで
この作品では、商業主義におもねった作品作り、販売や
文学的向上心のない作家たちが俎上にあげられている


◆漫画の歴史も、そろそろバカにできないというか
漫画だって文学の延長線上にあるとおれは思ってますが
漫画のほうは、文学ほどの権威がまだないから
そのぶんやりやすくはあります
やっぱり何十年や何百年後には
「漫学」なんて言葉が一般に浸透して
少年漫画のあの大家とかが、偉大な精神とか形容されるんだろうか

『巨船べラス・レトラス』に描写されるような
作家同士で、自分たちの作る作品のありようについて
侃々諤々の議論を戦わせる
その昭和文学青年じみた熱気を
おれは疎ましいような羨ましいような気分で眺める
作る人間が、作ったもの、作られたものの是非を論じるということは
どういうことなのか、おれの中ではまだ捉えきれていません
是非を論じるなら、拠って立つ価値基準が問われるけれど
その基準を定義して固めてしまうということは
作品にとってどうなんでしょうか

とりあえず
すげー楽しそうですよね

周防正行『それでもボクはやってない』

◆こういうのが、おれはだいきらいです

映画のことじゃなくてな
人が人を裁く、ということ
「汝等人を裁くな 裁かれざらんためなり」(マタイによる福音書/第七章)
という言葉が聖書にはあるけど
やっぱり、人は人を裁くのだ

『それでもボクはやってない』では
痴漢冤罪と戦うフリーターが主人公
物語なので、真実は明確にされており
ここでは、検察や法廷が
とりあえずの戦いの相手として描かれている

社会というものは
真実に基づいた正当で公正な行政によって
運営されている、という前提で機能しています
みんなそう言うし、そう思おうとしてる
そういうことにしておかなければ成り立たないのが
社会というものみたいです

子供の頃は、裁判所というものは
確定的な証拠と公正かつ賢明な判断を下すプロによって
あら不思議、どんな事件もまるっと解決みたいな
そんなとんでもなくすごいところだと思っていた
だって人を裁くんだもの、そうに決まってるじゃないですか

ところが、実際にいろんなものを読んだり見たりしていると
裁判所でやっていることは、検察側と弁護側がお互いに
味方側を取り繕い、敵側を非難しあって
感情込めたり傍聴人の数を揃えたりして
裁判官の心証をよくしよう、同情を誘おうって、そんなことだ

先生の前で喧嘩の責任をなすりあう小学生みてえなのな

裁判官の心証って、なんだ?
お行儀のよさとか、真に迫った供述とか、傍聴人の数とか
そういうもので左右される判決って、なんなのだ
そんなだったら、もしおれが起訴されたときは
どんな罪状だろうと確実に有罪になる自信あります

おれだったら
「自分も悪いとこあった」とか、言っちゃう気がする
あるだろうな、普通は
どっちかが全く責任なくて、もう一方が100%悪いなんて
そんな状況のほうが、珍しい

でも裁判で、そういう譲るみたいなこと言えなさそうですね
徹底的に潔白を主張して、全部相手のせいにする
そういうようなことをするのがセオリーらしい

たとえ結果として、真実にたどり着けたとしても
そういう対話からなにかが得られるとは思えないがなあ
そういうことをすると、失うものがかなり多い気がする

何ヶ月も何年も争ってるうちに
被告も原告も、記憶はどんどん薄れていくだろうに
ひたすら敵愾心を燃やして、相手の揚げ足を取りあいつづける

死んでもかかわりたくない世界だなあ
そういうことをしてまで守りたいものというのは
おれには、たぶん、ないです

映画の中では
検察が、ウソついたりしてた
ウソついてまで、有罪がほしいのだ

ウソとは言わないまでも
都合の悪い事実は隠して、都合のいいことだけを並べる
そういうことをお互いにやっているわけだ
真実へのプロセスでは、ないよな、これ

真実や内省とはもはやなんの関連もない
法廷の中だけに存在する「有罪」「無罪」という概念をめぐって
事実関係が武器として場当たり的に使役されている
どうにもやっぱり、裁判所というのはすごいところだ


◆証言が、裁判を左右しているようだけど
人間って、事件当時を正確に記憶して
一切の主観や思惑抜きで説明できるものなんか

主観からは、逃れられないんじゃないだろうか
みんな「わたしは客観的に判断している」って
口を揃えて言っているけれどな

嘘をつく、ということもあるし
思い違い、ということだってある
検察側や弁護側にあれこれ言われてるうちに
自信のない記憶でも、確信として思い込んじゃうような
記憶回路のハプニングというものもいくらでもありそう
記憶って、変わるものらしいし

おれ、人間そのものは、信用してません
信じるかどうかは、相手と気分と都合で決めておる
「この人だったら裏切られても許せるかな」
というようなことが、おおむねの判断材料

そう考えている身としては
人間の言葉で左右されたあげくに
あまつさえ数百万単位のお金や数年からの懲役を
人に課す、法廷というものがちょっと理解できない

極端なはなし
裁判官が「なんかこいつの顔ムカつくな」
なんて理由で有罪にならないともかぎらないわけでしょう
前例を作りたくないとか、立件が多くてチャッチャと済ませたいとか
弁護人がやる気なさそうに見えるとか、被告人がよく噛んだとか
そんなんで決まりかねない

こんな曖昧なシステムで、日本は管理されてるのだな
警察も、司法裁判所も、職業人の私的な感情や都合に
おもっくそ左右されてる

しかも、あとで冤罪だとわかったところで
国家や警察が責任をとってくれるわけでもない
訴え得の、訴えられ損
訴えられたほうは、評判悪くなってなにかと不都合なのに
訴えたほうはプライバシー保護、おとがめなしってなっとくいかんな
冤罪だったときは、自動的に訴えた側を罰したらどうか

社会の中で管理されてる以上
交通事故に逢ったり快楽殺人の犠牲になるのといっしょで
冤罪で、国家に殺されるリスクも
いやいやながらおれは受け入れてるつもりです
人間と付き合うことを選んでいる以上
理にかなった最低や、公正な処置というものは望めない

「李下に冠を正さず」で
司法に目をつけられないように、ひっそりやるしかないかな
こういうとき
社会というものは、まだまだ発展途上だなとおもう


◆人は人を裁けるのか
それは、人は人を理解できるのかという話でもある

どういうつもりで、それをしたのか
何がほしくてそれを選んだのか
人がやることに、明確な理由があることのほうが
実は、珍しいんじゃないでしょうか

裁判においては、誘導や断定なども経て
あらゆる行動が、説明されてしまう

ごはん党だけど、たまたまその日は朝食にトーストを食べたとか
うっかり間違えてちがう駅で降りたとか
漫画嫌いなのに、なぜか『ドラゴンボール』を持ってたとか
そういう、「なんとなく」や「うっかり」や「なぜか」を
裁判においては、許容しないらしい
説明できないようなことは、ほらみたことか、と
説明できないだろう、嘘だからだ、とどんどん突っ込んで
疑わしきは罰せよ、で有罪が演出される

本当に、人のすることを見ただけで
その動機や性格まで理解できるもんなんだろうか
お話づくりのうまい人が
曖昧なところを都合よく創作して、つじつまを合わせてしまって
それで「わかったことにする」というのが実情じゃなかろか

裁判に限った話じゃなく、人間ってそうですね
作品を読んだだけで、作家の人間性をうんぬんしたり
趣味や国籍といった断片的な情報で人格を推測したり
障害者や病人というだけで心のきれいな人だって思ったり
人は、やたらと他人の人間性を理解したがる

わかんのかホントに?
人って、人の考えることがわかるの?
シャーロックホームズみたいに
どうでもいいようなゴミひとつで、犯人の人物像がわかったりする?
おれにはとてもそうは思えないのだけど
社会というのは、そういう前提のもとに
自分にはそれができると思っている人たちが、動かしているらしい

人を理解したがる観衆を納得させるために
つじつまの合った説明が求められ
その説明に、犯人をあてはめていく
それはやっぱり、作家的な作業であって
真実へのプロセスではないなあ
求められるのは、「真実」ではなく「それっぽい説明」
人は、そんなに都合よくつじつまのあうものではないぞ

なんでその日に限ってトーストにしたのか
なんで散歩中にその角をまがったのか
なんでその日に自転車を修理に出したのか
なんで部屋の隅のそのゴミを、捨てずにとっておいてるのか
みなさん、はっきり説明、証明できます?
できなければ、むこうが勝手に説明しちゃいますよ
裁判所ってそういうところですよ

本人の「なんとなく」よりも
なんの関係もない第三者の「物語」が、社会では支持される
なんだか暗澹とした気持ちになってしまったな


◆かといって
じゃあ、どうすりゃいいのか、というのは見えません
おれにわかるぐらいなら苦労はないですね

一方で冤罪を糾弾され
一方で犯罪への厳処を要求されている裁判所というのも
そうとう、たいへんだ

冤罪やめろって言われても
どうやったら正確に、誰もが納得できる真実を解き明かせるのか
数万年の歴史を経ても、人間はそこにたどり着いてないし
システム自体
権力機構に生かされている施政者や官僚たちがあって
そうそう変えられない
そうそう変わられたって、困るよな、やっぱり

ただ、勝手に考えていることなのだけど
人間は
「人間には正誤を判断する能力がある」
という前提を、一旦でいいから、捨ててみたらどうだろ

コンピュータ、てものができた
これ、将来的には、システムを任せられないかなあ
司法裁判から軍事力から
手塚治虫の『火の鳥 未来編』みたいに
コンピュータに人間をすべて管理させるの
火の鳥では、コンピュータがなんかプライド高くて
コンピュータ同士で喧嘩したりして
それじゃコンピュータの意味ねえだろって
子供心に思ってましたけどね

猛反発にあうだろうな、コンピュータなんかに管理されたくないって
人間の心の機微もわからない機械なんかに
裁判なんかまかせられない、てみんな思うんだろう
四角四面な対応じゃあ、いろんな問題が出てくるという心配もある

でもじゃあ、人間なら、できてるのかといったら
できてないわけだろう
できてることにして、権力で押し通してるのが現状
だったら、最初からコンピュータにでもやらせたほうが
おれなどは、あきらめがつくと思ってしまうのだけどな
少なくともコンピュータは、利益や感情に左右されないぞ
コンピュータが相手なら憎んだり恨んだりしなくてすむから
気が楽です、おれは
コンピュータ制御には一貫性があるから
あらかじめそれに対応した生活姿勢もできてくると思うし

行動を立証する明確な証拠が不充分なのであれば
それは、本来、人間の能力の範疇を超えた事件だと思う
人間の手に負えるものではないな、真実っていうのは
だから、はっきりした証拠がなければ
人間は手を引くべきだと思うのだけど
社会秩序の手前、そうもいかないのも実情

わかんないのに強引に決めなきゃいけないんだったら
もう、コンピュータにやらせたほうが、ブレがなくていい
どうなんだろ
一度やってみる価値、あるんじゃないですか
コンピュータの進化をまだまだ待つ必要はありそうですが


◆ともあれ
『それでもボクはやってない』、すごく面白かったです
考えてみることは面白いものだなあ

ケヴィン・リマ『魔法にかけられて』

◆ディズニーは好きかーッ

最新作
『魔法にかけられて』を、見てきました
上映終了直前の『ヒトラーの贋札』と悩みましたが
ヒトラーの方はむりに大画面で見る映画でもないなと思い
友人が狂ったように薦めていたディズニーに赴く

おれ自身も、かなり期待していた一品
おとぎばなしのお姫様が現実世界にとびこんでくるという
大人から子供まで楽しめる物語です

真実の愛を愚直に信じ、街中で唐突に歌い出すジゼル姫に
困惑しどおしの弁護士ロバート
おとぎ話での常識と
現実世界での常識がぶつかり合う、その摩擦が
とてもおもしろい
これは、決してこの設定だからできたというわけじゃなく
実際にも、立場や民族の違いで
こうした摩擦はたくさんあります
異なる常識、風習が根付く異郷を訪れたとき
われわれは誰でも、ジゼル姫になりうる
おれの目には、至極リアルな物語に映った

おとぎの国のお姫様を演じるエイミー・アダムス
同じく王子様を演じるのがジェームス・マースデン
ディズニーアニメのキャラクターを現実に演じるという試み
とても面白い演技が見られて、よかったー
二人とも現実のニューヨークの中にあって
至極滑稽で、それでいて違和感がない
あくまでオーバーアクション、あくまで真摯な演技
現実とアニメの乖離と融合というコンセプトは
ふたりの好演によってみごとに果たされた印象

王子様とリスの、現実世界での動きがすばらしい
特にリス最高
いろんな意味で、今回一番の立役者かもしれません

おとぎ話と現実のぶつかり合いは
かなり胸のすく形で終幕を迎える
子供には夢を、大人には希望を
人は夢の中では自由であり
その夢は現実と地続きなのであります

ディズニーには珍しく
大人の観客と、真っ向から向かい合った意欲作であることだなあ


◆3Dポリゴンを駆使したアニメがすっかり定着して
2D線画という手法を、とんとみなかった
昨今のディズニーアニメ

『魔法にかけられて』では
作中の、ほんの触り程度に限られているとはいえ
ものすごく久しぶりの新作2Dアニメを堪能
やっぱり、とてもよかったです
おれとしてはこちらの方がずっと好きなんですけど
今後、どうだろう、また作ってくれるのかしら
今回だけの、古いファンへのサービスに終わってほしくないぞ

ポリゴンも進化して
かつての弱点だった動きや表情の硬さが
このところ、かなり払拭されてきてるみたいだ
技術力とセンスで、いよいよ漫画の表現力に迫ってる
今後3Dアニメが主流になっていくのは
たぶん疑いのないところだと、おれはみていますが
それでも、やっぱり2Dアニメも続いてほしい

『魔法にかけられて』は、うれしい作品であったよ


◆ディズニー狂いの友人が言うことには
この映画には、ディズニーのこれまでの作品群への
オマージュがあちこちに散りばめられているのだそうで
『シンデレラ』『美女と野獣』『ダンボ』などなど
自社の映画を元ネタにしたパロディがいろいろあるとか

実のところ、ディズニーには疎いおれには
そのへんはあまりわからなかった
それが少々残念ではあります
でも、知らなくてもでんでん大丈夫な映画だ

ともあれ、ファンには非常に贅沢なつくりであるらしい
歴史と知名度を併せ持つビッグブランドだからできる
自社製品を総括しての、内輪ネタを網羅したお遊び
こういうの、2000年代から、多くなったような気がします

元来、作品作りというのは
固定ファンだけを相手にして閉じこもらないように
知らないと楽しめない恐れのある「内輪ネタ」は
避けるのが、おおむね普通ですね
けれど、このところ、ゲームやら漫画やらいろんなところで
ファンの知識に挑戦するような、ディープな作りの作品をよく見受ける
(もちろん『魔法にかけられて』のように、ファンでなくても
十二分に楽しめるように構成されていることも多い)

仮面ライダーとかの特撮番組では
歴代のヒーローが集結、なんてこのごろよくあるらしいし
任天堂のゲーム『大乱闘スマッシュブラザーズ』などは
自社の有名キャラクターを、無節操に全部ほうりこみ
ファンが喜ぶマニアックなやりこみ要素が満載だ

オタク、マニアという客層が定着して
こういうマニアックな内輪の遊びが
商業作品のセールスポイントとして成立するまでになった
それは、なんだかうれしいことに思えるな

映画や漫画やゲームが
現実の代替品としての表現にとどまらず
それ自体で、世界を構成できるほど深くなった
内輪に閉じこもって自己完結する不健全さを指摘した批判も
ひとつの観点から成立するかもしれないけど
おれにはすごく豊かなことに見える
たとえ一部のファンにしかわからないものでも
深く狭く、というアプローチが許容されるなら
エンターテインメントの地平はまた広がっていくんじゃないだろうか
普遍性という枷を外した表現という方向性には
とてもきょうみがあるな

念を押すようだけど
『魔法にかけられて』は、一部のファンじゃなくても
ぜんぜん大丈夫ですので

カテゴリ解説

・ブログ解説/このブログの説明、はじめてのかたはこちら

・日々雑記/てきとう日記

・お仕事/かけだし漫画家としてのお仕事情報、宣伝

・本/読んだ本について、感想や雑談

・ゲーム/やったゲームの感想や雑談

・映画/見た映画感想雑談

・らくがき帳/おれのかいた絵

自己紹介

【ペンネーム】

伊藤黒介


【職業】

漫画家(なりたてほやほや)


【性別】




【生年】

1981


【趣味】

本をよむ
ゲームをやる
なんかかく


【言葉】

《人生は一箱のマッチに似ている。
 重大に扱うのは莫迦莫迦しい。重大に扱わなければ危険である》
          ――芥川龍之介

《人間は、真の意味で人間である時に限り遊ぶものだ。
 人間は遊んでいるときにだけ完全な人間となる》
          ――フリードリッヒ・フォン・シラー

《腹の底を見せないから友達はいない 身内にも心を置けない
 他人が死んでも私は今日を眠り メシを食い 明日は笑うだろう
 悪に魅かれる世も人も健全だが 私には立場と理想がある
 私はその為に生きる》
          ――新井英樹『The World Is Mine』

《われわれの美徳は、ほとんどの場合、偽装した悪徳に過ぎない》
          ――ラ・ロシュフコー

《やがてわたしも、死の前にひざまずくときがくるだろう。
 だがそれまでは、勝利の栄光を味わわせておくれ》
          ――ホメロス『イリアス』

《朝に道を聞きては夕に死すとも可なり》
          ――孔子『論語』

《わたくしといふ現象は
 仮定された有機交流電燈の
 ひとつの青い照明です
 (あらゆる透明な幽霊の複合体)
 風景やみんなといつしよに
 せはしくせはしく明滅しながら
 いかにもたしかにともりつづける
 因果交流電燈の
 ひとつの青い照明です
 (ひかりはたもち その電燈は失はれ)》
          ――宮沢賢治『春と修羅』序

《ふゆのひに あそんだね。
 ぼくは とけて
 きえてしまったけれど
 きみの おもいでのなかに
 まだ のこっているんだよ》
          ――糸井重里『MOTHER2』

《荒星や毛布にくるむサキソフォン》
          ――摂津幸彦

《みんながくだらないと思う今日は、
 あの子が生きたかった今日なんだ》
          ――不詳
           (『ほぼ日刊イトイ新聞』のメールマガジンより)

《春にならないうちにわたしは秋のみのりを倉におさめた、
 季節をはずれわたしの畑は穀物が白くみのっていた、
 悲しくも四季はその秘密をあきらめたのだ。
 強いられ花を散らされ、病めるそれぞれの季節は、
 繁栄と衰微の不思議の中に横たわっている。
 人がまだ暁を見ないうちにわたしは日没を見た、
 それはわたしが敏いためなのか、わたしには知りうべくもない。
                   苦い水》
          ――キプリング『神の恩寵もえられず』

《老人はライオンの夢を見ていた》
          ――アーネスト・ヘミングウェイ『老人と海』

ごあいさつ

◆こんにちはクロスケです
伊藤黒介名義で、駆け出し漫画家をやっております
初めていらしたかたは、ようこそおいでくださいました

ここは、おおむねふつうの日記ブログです
管理人がすきかってやります
らくがきをしたり、趣味の話をしたり
思いつきや愚考をてきとうに書きちらかしたり
無責任にあそぶだけの日記です
こんなもんを世間様に向けて発信して
なにか建設的な意義があるとはもとよりおもいませんが
まあ
いいだろ


◆おれがたのしければよし、が基本スタンスですが
おれ以外の人が見たりたのしんだりするのも
もちろん自由です
もしお気に召されたなら、まあくつろいでいってください

むかしの絵

◆むかし、ホームページをやってた時代の名残りを
もったいないのでここに陳列
版権キャラクターとかいろいろいますが
わかるひとだけわかってくだされば


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北原白秋『紙きり蟲』

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宮沢賢治『病院』
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中原中也『雪が降つている……』
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北原白秋『秋』
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俳人 種田山頭火(写真の模写)
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北原白秋「『きらひ』
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うろおぼえシリーズ/リンク(『ゼルダの伝説』)
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うろおぼえシリーズ/となりのトトロ
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うろおぼえシリーズ/ダブルゼータガンダム
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うろおぼえシリーズ/バカボンのパパ
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うろおぼえシリーズ/まいっちんぐマチコ先生
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ブラッド・ピット
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目をほそめて遠くから眺めると、それっぽく見えるかもわかんない
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竹宮恵子『風と樹の詩』をよんだ直後にかいたもの
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オードリー・ヘップバーン
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Author:伊藤黒介
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