クロスケのブログ

この人の彼女って苦労しそう

2017-06

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スティーヴン・キング『トム・ゴードンに恋した少女』

◆キング好きだぜ!

モダン・ホラーの帝王と呼ばれた(らしい)
スティーヴン・キング
やたらと映画化された作品の多いひとなので
日本では、小説よりも映画のほうで
より親しまれてるんではなかろうか

『ショーシャンクの空に』(原題『刑務所のリタ・ヘイワース』)は
いままで見た映画の中でも五本の指に入るほど好きです

映画化されまくるのも納得で
キングの文章は、ほんとに映画向きだと思う
緻密なのにスピーディーな筆致にひきこまれて
まさに映画を見てるような気分になります
語りがほんとにうまいぞ


◆日本では最近文庫化された『トム・ゴードンに恋した少女』は
広大な国立公園の森に迷い込んだ、九歳の少女のサバイバルを描くお話
トム・ゴードンとは、作中で主人公が心酔している野球選手のこと

獣や虫や蛇や毒や菌の蔓延する森の中での生存闘争に挑むのが
たった九歳の少女という、サディスティックなほどに壮絶な設定
新潮文庫の表紙の、野田あいのとても可愛いカバーイラストとは裏腹に
苦悶と絶望感に満ち満ちた内容です

『死のロングウォーク』やら『ゴールデン・ボーイ』に見られるように
極限状態に置かれた人間の、追い詰められていく精神状態を描くのは
スティーヴン・キングの十八番なのだけど
九歳の少女に対しても、その筆致はまるで容赦がない
ひどい。

ひとり孤独に森をさまよう主人公トリシア
周知のように、森というのはおそろしいところで
怪我、飢餓、病気、人の身のあらゆる苦痛が彼女を襲う
作者はそれでも満足できないらしく
キング作品ではお約束の「人知を超えた正体不明の怪物」までが
トリシアをつけねらい、苦痛のラインナップに恐怖を追加する
そこまでせんでも

これほどの絶望的状況にあって
主人公の聡明さと、どこか能天気な明るさが
彼女自身にとっても読者にとっても救いになってて
なんとかついていけた感があります
そうでなければ、ただの嗜虐趣味のホラー小説になってたと思う
読むのがつらすぎる

動物や幼児ものには、ホント弱いぜ
けっこう単純な涙腺してるおれだ

なにしろ作者が作者なので、最後まで結末は読めなかった
章ごとのタイトルとして
「試合開始前」「一回」「七回表」といった、野球のイニングで冠する
遊び心がかえって残酷で、不安にさせられる


◆このブログの方針として、ネタバレは避けますが
やたらと泣けた、と言っておきます
実に泣ける小説でありました

主人公トリシアが、空想の中でトム・ゴードンと語り合うシーンが
作中で頻繁に出てくるのだが
そこまで追い詰められる描写が悲惨すぎて、そのたびに涙がでてくる

そういえば、トム・ハンクス主演の『キャスト・アウェイ』を見たときも
バレーボールを人に見立てて語らうシーンで
おれは涙したものだった
終盤の「ウィルソーン!」にはほんとに泣いた

シンプルなつくりではあるけど
『トム・ゴードンに恋した少女』は
おれにとって、キングの傑作のひとつに数えられました
これ、映画でぜひ見てみたいとも思ったけど
見るのがすげえつらそうだなあ
途中で席を立つ観客が続出しそうだ
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山下洋輔『ドバラダ門』

◆著者の山下洋輔は
著名なジャズピアニストである

自分は、音楽はまったくわからない人なのだけど
筒井康隆がエッセイの中でとても褒めていたのと
タイトルがやけに印象に残っていて
今回、ついに手にとりました

大当たりでした
壮絶に面白い

山下氏の祖父にあたる山下啓次郎が
明治時代に、明治政府の命を受けて
鹿児島刑務所の正門を作ったらしいぞ、ということを作者が知り
「なんでまたよりによって監獄の門なんか作ったんだ」と
調べていくおはなし
しかもそれは、明治時代には極めて異質な西洋式の石造りになっていて
それがまた話をこみいらせていく

ドキュメンタリーと小説とエッセイのチャンポンみたいなものです

家計図や年表や資料をたどるうちに
国の歴史との関連がイモヅル式に明らかになっていく
黒船来航、明治維新、西郷隆盛、私学校、ポリス、戊辰戦争との関わり
また、親戚筋を廻りながら調査していく過程で
曽祖父が西郷隆盛や川路利良と懇意だったらしいとか
母方のいとこの娘が天皇家に嫁いだらしいとか
祖父の長男が家で座敷牢につながれていたとか
祖母の超能力事件だとか
面白い話が山のように出てくる

清水義範『みんな家族』という作品があって
これも、清水氏が自らの家系の物語をたどっていくというものだけど
普通の家というのは、どうも、面白い話がゴロゴロしているものらしい
従兄弟や曽祖父レベルまでしらみつぶしにたどっていけば
著名人や歴史的事件との関連や
非科学的なけったいなエピソードがいろいろ出てくるようだ
確率的にはなんの不思議もないんだろうな
おれもやってみたいぞ

そういえば、おれの親父は
小学生時代、あの天野喜孝と同級生だったそうです
当時からもうれつに絵がうまかったんだとか

まあこんな具合ですね


◆本業がピアニストの山下洋輔氏
エッセイはいくつかあっても、小説はこれだけらしい
ものすごく面白いだけにとても残念

山下洋輔が作家の筒井康隆と交友関係にあるのは有名だけど
そのせいか、筒井康隆の文体の影響が濃いように思える
おれの大好きな雰囲気だ

文章のテンポがよく、勢いがあって一気に読めるし
あちこちで阿呆なギャグがこれでもかとばかりに挿入されて
いかにも八十年代的な、いいからどんどんやっちまえ的熱情を感じる

「しゃばどびうびしゃばどび」「じじい表に出ろ」「山下清」「サックマイアスサノバビッチ」「おれは土下座のまま土中にもぐった」「ヘミングウェェェェェェイ」「両手を上に上げてからまた鍵盤の上に叩き降ろすのをやめなさい。そういう行為をすぐにやめなさい」「イエイ、ジェイルハウスロック」

最高
当時の時代を象徴するキーワードもいろいろ混じっていて
そういう意味でもとてもおもしろいです

現在と過去のふたつの時間軸がからみあい錯綜して
しかも当たり前のような顔をして互いに干渉し合うという
わやくちゃでメタフィクショナルな構成は
やはり筒井康隆の『邪眼鳥』や『虚人たち』といった
実験的作品の数々を思わせる

専門的作家ではないだけに
ちょっと展開が荒いかなとか、不親切に思えるところも感じたけど
むしろ、一本かぎりのこの小説の中に
「やりたいこと全部ぶちこんじまえ」とばかりに
ギャグやらこぼれ話やら音楽やら時代スケッチやら
いろんな要素が欲張りにこれでもかと凝縮されていて
おれとしては、横道にそれまくるあわただしさがすごく楽しかった

井上ひさしや司馬遼太郎みたいに
途中でよもやま話で横道にそれまくるつくりは
息抜きになって、好きなんです、おれ

とはいえ、きちんとドキュメンタリーとして骨太な作りをしていて
そこまで調べるのかーと思うような、じつに濃い歴史物になってる
とある普通の一家の、ひとりの建築家にフォーカスを合わせた結果
明治から現代までのこの国というものを
ひとつの(わりに身勝手な)側面から俯瞰することができて
じつに楽しい体験でありました

音楽家山下洋輔ならではのクライマックスは素晴らしかったー

いしいひさいち『女には向かない職業』

◆いしいひさいちの漫画が、おれは大好きです

キャラの描き分けのバリエーションがすさまじく
それらがいちいち可愛く、非常にリアルな表情を見せていて
読むたびにその技術と画力に圧倒されてしまう

いしいひさいちの描く世界は
徹底した脱力感と明朗快活なニヒリズムに支配されていて
そのへんがおれごのみで、とてもいごこちがいい

『ののちゃん』は大好きだし
『ホーホケキョとなりの山田くん』は
スタジオジブリの映画の中で一番好き
あれは素晴らしい出来でしたなあ


◆『女(わたし)には向かない職業』の主役は
あの『ののちゃん』の担任であった、藤原先生だ

いしいひさいちの描く女の子は
おれの中の「漫画界かわいい女の子ランキング」では
トップランクに位置されておりますが
その中でも、藤原先生が一番好きです
簡素な描線の中に、きちんと色気と可愛さが凝縮されていて
何をどうしたらそこまで描けるようになるのか本気で知りたい

やぶにらみの表情が一番いい

小学校教諭と新人推理作家の二足のワラジ生活を経て
作家として一本立ちしてからのトンチキ執筆活動を描く漫画
教師と作家のそれぞれの顔がみられてとてもおとく感
第二巻では女子高生時代の姿も描かれててさらにおとく

藤原先生、かなりおれの好みのタイプの女性で
全体的にガタガタな自制心の持ち主
よく言えばおおらか、悪く言えばズボラな性格は
教師時代からいかんなく発揮されており
生徒のほうでも、扱いに困ってるごようす
自分にも他人にもなにかと無頓着なひとらしい
こういう人好きだなあ

周囲に呆れられながら
才能と美貌だけでオトナを押し通すさまは、痛快
かくありたいものだ
どことなく種田山頭火を思わせるな

いしいひさいちのフィルターを通して描かれる世界は
みんないつもどっかしら慌ててるのに
実にのんきな予定調和にここちよく収まっていて
ひとつの理想郷をなしている
これもまた漫画の極北だと思う
かけだし漫画家として、後塵を拝させていただいております

ラ・ロシュフコー『箴言集』

◆やたらと共感しどおしだった本
座右の書にしようかしら


《われわれの美徳は、ほとんどの場合、偽装した悪徳に過ぎない》


このような序文からはじまる、この箴言集
十七世紀の文学者ラ・ロシュフコーさんが執筆したもので
序文にあるように
人間の偽善やごまかしを、これでもかとばかりにあばきたてた
実に胸のすく名著です
しかし四百年も前なのに、ぜんぜん古さをかんじないなあ


◆人は大昔から、自分や他人のすることを
愛やら度量やら奉仕やら、いろんな美辞麗句でかざりたててきました
それもロシュフコーさんにかかれば、以下のようになるみたい


《16 人びとが美徳とするこの寛恕は、ある時は虚栄心、間々怠惰、しばしば危惧、そしてほとんど常にこれら三つ全部の協力によって実践される。》

《143 われわれが他人の美点を褒めそやすのは、その人の偉さに対する敬意よりも、むしろ自分自身の見識に対する得意からである。だから他人に賛辞を呈しているように見える時でも、実は自分が賛辞を浴びたいと思っているのである。》

《177 あくまでも忠実であることは、非難にも称賛にも値しない。なぜならそれは、好みと感情という、人が自分から取り除くことも、自分に与えることもできないものの持続に過ぎないからだ。》

《409 われわれの最も立派な行為も、もしそれを生み出したすべての動機を世間の人に見抜かれれば、われわれはしばしばそれを恥じることになるだろう。》

《463 自分の敵の不幸を憐れむのは、多くの場合優しさよりも傲慢からである。彼らに同情のしるしを示すのは、自分の方が優位に立っていると思い知らせるためなのである。》


善意や向上心のためだと人が称するあらゆる行為を
ラ・ロシュフコーは、かたっぱしから
欲得や嗜好による打算にすぎないと看破してしまう
どんな善行も、無償の愛すらも
虚栄心というレッテル貼りひとつで美徳の仮面をはがされちまいます

ロシュフコーさん、かなり性格悪そうだぞ

いろんな著名人に反撥されたらしい、この箴言集
人間はどこまでも俗物であり、高潔な精神などは幻想だといわんばかりです
はははははははははははははは
おれの考え方とほとんどいっしょで、実に痛快


《77 愛は、人びとが愛ゆえと称する無数の駆け引きにその名を貸すが、ヴェネチア総督がヴェネチア共和国で起きることについて与り知らないように、そういう駆け引きは愛の与り知らぬものなのである。》

《187 美徳の名は悪徳なみに有効に欲の役に立つ。》

《262 恋ほど自分自身への愛が強く支配する情念はない。そして人は常に、自分の心の安らぎを失うくらいなら、恋する相手の心の安らぎを犠牲にしようときめているのである。》

《235 友達の悲運も、それが彼らに対するわれわれの友情を示すのに役に立てば、それだけでわれわれは悲運のことはさっさと忘れてしまう。》


自分の愛とか、善意とか、人はことさら主張するけれど
そういった動機の説明を、なんでわざわざするかというと
発言力や影響力を得るためのかけひきであることが多い
こんなに立派なわたしのいうことをききなさい、ということ


◆遠慮会釈なしに言いたい放題いいたおすロシュフコーさん
人間の弱さについても、すごい辛辣に糾弾する
われわれが日常、自分自身に対して
ほぼ無意識に行っているごまかしも、見事にあばいてくれやがります


《31 もしわれわれに全く欠点がなければ、他人のあらさがしをこれほど楽しむはずはあるまい。》

《107 断じて媚は売らないと標榜するのも一種の媚である。》

《184 われわれが自分の欠点を告白するのは、その欠点のせいで人から悪く思われた分を、率直さによって埋め合わせるためである。》

《389 他人の虚栄心が鼻持ちならないのは、それがわれわれの虚栄心を傷つけるからである。》

《398 われわれが自分のすべての欠点の中で最もあっさりと認めるのは怠惰である。われわれは、怠惰は柔和な美徳のすべてに一脈通じるところがあり、かつ他の美徳も完全にうち崩すわけではなく、単にその働きを遅らせるだけである、と信じ込んでいるのである。》


184と、398がすごいな
なんだか、日本人特有の、公開日記の文章のいやらしさに
もののみごとにあてはまる気がする
これ意識したら、ブログがかきにくくなるなあ


《22 哲学は過去の不幸と未来の不幸をたやすく克服する。しかし現在の不幸は哲学を克服する。》

《89 誰も彼もが自分の記憶力を慨嘆し、誰一人として自分の判断力を慨嘆しない。》

《296 少しも尊敬していない人を愛すのは難しい。しかし自分よりはるかに偉いと思う人を愛することも、それに劣らず難しい。》

《347 われわれは、自分と同じ意見の人以外は、ほとんど誰のことも良識ある人とは思わない。》


人の傲慢な自意識についても言及している
けっきょく、人は、どんな偉人の思想よりも
自分の判断力を優先するし、そうするしかないみたい


《338 われわれの憎悪があまりにも激しい時、その憎悪はわれわれを、憎んでいる相手よりも一段劣る人間にする。》

《411 人は、欠点を隠すために弄する手段より以上に許しがたい欠点など、めったに持っていないものである。》

《431 自然に見えたいという欲求ほど自然になるのを妨げるものはない。》

《481 真の善良さにも増して稀なものはない。善良だと自分で思っている人さえ、ふつう、愛想のよさか弱さしか持っていないのである。》

《583 親友が逆境に陥った時、われわれはきまって、不愉快でない何かをそこに見出す。》


いちいち耳がいたいこと
自分の欠点を糊塗しようとする人間の滑稽さよ

すくなくとも、おれ自身は
ほぼすべてを自分のこととして読みました
ここまで内心を暴かれると、逆にすがすがしい


◆この箴言集を、真面目に読んだ場合
気が楽になる人と、暗澹とさせられる人に
おおむね分かれるんじゃないかと思う

人は高みに向かっていくべきだと考えている人は
怒るか、意気消沈するか、でしょうか

おれは、すごく気が楽になりましたです
いいじゃないですか、人間、こんなもんで

ここまで言っておきながら、ラ・ロシュフコーは
真の善意、真の高潔さを人は持ちうる、という前提に立っているみたい
この箴言集であげつらったような偽善は、すべてにせものなので
本物の善、真に高い人間性を目指そう、と書いている

しかしここまで書いてると、何をどうやっても
偽善のそしりはまぬがれないように思えるな
けっきょく、善と偽善をはっきり分ける境界線は
見る者の基準、嗜好によるんじゃないだろうか

気に入った人はほめあげて
気に入らない人はこきおろすために、つかいまわされる道具
言葉、論理なんてのは、元来そういうもんだと思います

ロシュフコー本人も、結局自家撞着に陥らざるをえなかったみたい
「自画像」と題された、自己を評価した短文があるけれど
併記されている、レ枢機卿の書いたロシュフコー評と
えらいくいちがってて、わりとゆかい


◆ロシュフコーの箴言は、正しいのだろうか
おれとしては、それはどうでもよいな
役に立つ言葉なのはたしかなのだ

この箴言集は、おれのみたところ
いわば「こきおろし方レシピ」みたいなものです
この箴言集を参考にすればどんな人間が相手でも悪口がいえるぜ!
なぜというに
善意や虚栄心の有無といった、人間の内心を突いているからですね
こういうのは、証明する方法がないので、いくらでも叩ける

いまひとつの使い方としては
自戒のために唱えるということ
いつ読んでも、自分をいましめる言葉は見つかると思う
思い上がりたくないという人には、役に立つぞきっと

そういうふうに
他人を内心でこきおろしてストレス解消したり
自分をいましめたりするのに、すごく使える箴言集だ
これらの言葉に正誤を問うなら、それは、相手次第です


《436 人間一般を知ることは、一人の人間を知るよりもたやすい。》


ロシュフコー自身がこう書くように
一般論だったら、いくらでも的を得たことが言えるけど
いざ一人の人間を相手に、実地において
箴言でやってけるかどうかは、実にこころもとないですね


◆ロシュフコーのなしたことは
人間の矮小化だと見る向きもあるだろうけど
おれは、また違う見方になる


《305 私欲は諸悪の根源として非難されるが、善行のもととして褒められてよい場合もしばしばある。》


おれとしては、この言葉を拡大解釈したいな
けっきょく、人は、私欲や虚栄心で動くわけだけれど
別にいいではないか、それで
立派なもんじゃないですか


《 誰もが他人を犠牲にして自分の楽しみや利益を見つけようとする。(中略)相手より自分を大事にしたい気持は、あまりにわれわれにとって自然で、これを棄て去ることは不可能だから、せめて隠す術ぐらいは心得るべきであろう。》


書中の『考察』では、このように書かれてます
内心がどうであろうと、それをうまく隠すことがだいじということ

これは、救いです
心の中が虚栄や嫉妬に満ちていようと
大事なのは外面や結果なんだな

人間、誰しも心の中はろくでもないものだ
それを受け入れ、許容できたら
人間社会は、すごく生きやすくなる気がしますな

愛とか善意とかを標榜する人を
おれは、信じません
ほんとにそうなら、わざわざ言う必要はないのだ
相手が喜んでいるかどうかという結果が大事なんだけど
結果を気にするより前に、自分の立派さばかりを言い立てる人は
おおい
虚栄心や自己満足のために、他人をだしに使っているひとたち
そういうのが、おれはきらい
居直って悪事やってる人のほうが、ずっと好感が持てます

自分の中の卑しさや悪徳を認めずに固持するひと
そういう人が
けっきょく、人の世の暴力を担っているような気がしてなりません

C.S.ルイス『ナルニア国ものがたり』

◆J・R・R・トールキン『指輪物語』と並んで
現代ファンタジーの草分けといわれているらしい
ファンタジー冒険活劇の名作であります

これの翻訳者は
『指輪物語』『ホビットの冒険』といったトールキンの代表作も翻訳なされた
瀬田貞二さんだ
雰囲気薫る構文、今回も堪能させていただきました

なにかと壮大
全七巻を通して描かれるアスランの物語は
あちこちに伏線がはられまくっており
なんだかやけにスケールがでかい

数千年におよぶナルニアの歴史をたどっていくのが
ナルニア国ものがたりの概要
数々の伏線をいっこずつ拾い集めながら読み進み
いよいよ世界の真実に至る最終巻までを一気に読破

この終わり方は、すげえな思った
「ええーっ そんな終わり?」とかちょっと思った

岩波少年文庫、最終巻『さいごの戦い』では
巻末に、英文学者の竹野一雄氏による解説が添えられており
それを読むと、この物語の主題
少なくとも作者の意図がわかる

なんだかちょっと、取り残されたような気がしたおれだ
みんなそっちへ行ってしまうのか
おれはそこへは行けないよ、信仰がないから
なかまはづれ感


◆このお話におけるアスランは
全能で完全無欠な存在
矛盾なき正義の象徴として描かれる
そのあたりは、おれの好みとは違いました
そういうものが存在してるんだったら、苦労はないよな
みんなが納得する絶対的な正義というものが存在しないから
みんなそれを求めて、奔走したり戦ったり思考したりする
それが人間の歴史だと思うのだけど
最初から、矛盾なき答えが確立していて
このひとのいうこときいてればオッケーですよっていう状況は
簡単で、いいな

それでもやはりナルニアは理想郷だ
疑念を差し挟む余地のない正義を土台に据えた現代の神話は
読んでいて安心感があって、痛快

登場人物たちの、より高いところへ向かおうとする精神性が
あぶなっかしくも美しい
児童書として
信仰心の強さ、美しさが
詩的、絵的な構成で素朴かつ真摯に表現されている印象

宗教、信仰の利点と弊害は
うんざりするくらい難しい問題なのだけど
ファンタジーの中では、道程の正義は保障されているので
存分に追求し、高揚感に酔える

ファンタジーの美点を凝縮したような傑作
物語を通して、信仰の高揚感を疑似体験できた
宗教にはいろいろ思うところはあるけど
憧れも大きいおれ
存分に、ご相伴にあずからせてもらいました

しかし、毎回文庫の冒頭で
全力でネタバレの解説が載ってるのはなんとかならんか

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伊藤黒介

Author:伊藤黒介
かけだしまんがかです

メールアドレス:
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